5月2日の見どころは夜の7:00から行われる「武蹄式」である。
武蹄式とは上杉謙信が戦に出陣する前に必ず行っていた儀式で、信仰している毘沙門天を勧請し戦勝を祈願するものである。上杉祭りでは川中島合戦の時の武蹄式が再現されている。
午後6:30…会場の舞台上で上杉太鼓が鳴りだす。人の背丈程もありそうな大太鼓を甲冑姿の少年達が代わる代わる打ち鳴らしていく。勇壮な音が辺りに響き渡る。やがて、ほら貝の音が聞こえ武蹄式が開始された。
設置された篝火が煌々と照らす中、会場中央付近に設けられた祭壇の所に御館様と軍奉公である「色部修理進勝長」が立っている。そこに川中島合戦に参加するために集合を掛けられた武将が次々に参集し、御館様に到着の挨拶をする。「安田治部少軸長秀、ただいま到着いたしました!」「よ〜し!(色部勝長)」…諸将にはもちろんミラージュでもお馴染の名前も登場する。「安田治部少軸長秀」をはじめ鮎川の父「鮎川摂津守清長」、直江信綱の義父である「直江大和守実綱」柿崎晴家の父「柿崎和泉守景家」等々。…そしてそれらの武将の挨拶の度に客席から若い女子たちの黄色い声援が上がった(笑) 今回、最も歓声が大きかったのは「鮎川」の時である。ひそかに人気上昇中? 武将の集合が済んだところで、会場内に設置された祭壇に進み出た御館様が毘沙門天を勧請する。供物を捧げ、真言を唱える。御館様が請願のために九字を切る姿はかっこいい。それが済むと今度は供えた水を戦勝の祈願として、武将達の水筒に分け与える「ご沾水の儀」が行われた。そのあとは御館様や武将達は舞台上に移動し、会場中央では槍隊や青竜隊の演舞が行われる。当時、上杉の雷砲(あまりにも大きな音で雷に似ていたためにこう呼ばれた)と恐れられていた上杉砲術隊の発砲は、ものすごい音で鼓膜が破れそうだった。それらが終わると出陣のために毘の旗(毘沙門天の旗印)、八幡の御弓(関東管領上杉家伝来の重宝)をそれぞれの武将に渡す。そして出陣の掛け声「えいえい、お〜!」。戦勝祈願の上杉砲術隊の発砲が終わると、武将達は出陣し会場内をぐるりと行列で練り歩いた。
さて、今回変わっていたのはその後である。私は今まで3回ほど上杉祭りを見ているが、いつもならこの後武将達は行進して会場内を出ていってしまう。だが今年は会場内をぐるりと一周した後、武将達はまた元の舞台上に戻ってしまった。そしてその直後の会場内アナウンス。「…武将達との写真撮影をお楽しみ下さい」
そのアナウンスが終わるか終わらないかぐらいで、客席にいた若い女子の皆さんは一斉に飛びだし、あっという間に会場内はお目当ての武将を撮りたいおね〜さま方達の戦場と化したのであった。
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