5巻「まほろばの龍神」

東大寺南大門

奈良で直江が訪れた場所

【解説】
鎌倉時代の大建築で、天竺様の代表作。両側の金剛力士像は運慶・快慶の作で最大の木造傑作。


三月堂(法華堂)

奈良で直江が訪れた場所

【解説】
大仏殿東方の山麓にある。東大寺より古く金鐘寺・羂索院と称し、天平の本堂に鎌倉時代の礼堂が調和よく合体して外観は一の建築物である。
本尊は不空羂索観音(→不空羂索観音)で、豊富な装飾をもつ巨大な天平仏、日光・月光菩薩(→日光・月光菩薩)や、四天王像、その外の仏像が立ち並び、背面の厨子には秘仏執金剛神像がある。


不空羂索観音

5巻p73。直江が訪れた東大寺三月堂(法華堂)の本尊。

【解説】
梵語のアモーガパーシャの意訳。羂は獣を捉える網、索は魚の釣り糸を意味し、この羂索を持った観音菩薩が慈悲の網や糸で衆生を救いあげるのだが、誤りなく救うということで不空の文字を冠する。
この陀羅尼を誦すると20種類の勝れた利益があるという。日本でも古くから盛んに信仰され、東大寺法華堂のものは天平時代の代表で、美術的価値が高い。

【形像】
2臂、4臂、8臂、10臂など様々な形像が作られたが、法華堂形像では1面3眼8臂。
2手は合掌、左手に蓮華・羂索・与願印、右手は錫杖・与願印。宝冠を被り、その中央には阿弥陀如来の化仏を配す。(観音菩薩はもともと阿弥陀如来である)
この法華堂の像は国宝。脱乾漆造の立像で、像高は約6mの巨像。不空羂索観音の中では現存最古のもの。宝冠の骨は銀の唐草文で構成され正面の化仏も銀製、三方に鏡を配して光条を放つ。頭上の宝髻は2万数千個の水晶、琥珀、真珠、瑪瑙、勾玉などを連ねた珠玉で飾られ、その宝冠と光背の装飾性は驚異に値する。

真言
オン ハドマダラ アボギャ ジャヤニ ソロソロ ソワカ
【訳】
オーム 蓮華を手に持ち空しからず調伏なさるお方よ、現れ給え、現れ給え、吉祥なれ。

随作事成就真言
オン アボギャ ビジャヤ ウンハッタ
【訳】
不空尊よ、最勝の力以て諸障を破壊し給え、諸願を満足せしめ給え

種字


日光菩薩

初出5巻p75。直江が訪れた法華堂の本尊、不空羂索観音の脇に立つ仏像。

【解説】【形像】→月光菩薩参照
真言
オン ソリヤ ハラバヤ ソワカ
【訳】
帰命致します、日光菩薩にスーヴァーハー

オン ロホ ニユタ ソワカ
【訳】
帰命致します、姿輝けるものよスーヴァーハー
種字

あん


月光菩薩

初出5巻p75。直江が訪れた法華堂の本尊、不空羂索観音の脇に立つ仏像。
直江が度々法華堂を訪れたのは、この仏に会いに来るためらしい。そして訪れるたびにこの仏に美奈子の面影を重ねて一人回っていたようだ…。

【解説】
薬師如来の脇侍。薬師瑠璃光浄土における代表的菩薩。日光菩薩は光明の普く際限のない徳を司どり、月光菩薩は月のような清涼な法楽を持って衆生に生死の煩悩を離れさせる働きをするという。
【形像】
日光・月光菩薩の両菩薩の像容には定型がない。日光菩薩が日輪を、月光菩薩が月輪を宝冠につけるか手に持つかのことだけで、それ以外には、薬師如来の脇侍であること以外、見分けることが出来ない。印相は合掌が多い。
※東大寺の法華堂の日光・月光菩薩は、本尊が薬師如来でないうえ、表現や素材の面からみてもおかしい点があり、もとは他の堂にあった梵天・帝釈天だったのではないかと思われる。が、合掌形をしているのと、別に梵天・帝釈天像があるので日光・月光菩薩にあてられることになったのではないかとされる。
真言
オン センダラ ハラバヤ ソワカ
【訳】
帰命致します、月光菩薩よスーヴァーハー
種字
しゃ


二月堂

初出5巻p84。直江が「この空は…。あなたをいとおしいと思う気持ちに、よく似ている。」と迷ゼリフを吐いた場所。

【解説】
東大寺内三月堂の隣に建つ建物。江戸時代建築、舞台造。〈お水取り〉行事で有名。


浄土

初出5巻p85。

【解説】
仏菩薩が住む清浄な国土。諸仏の浄土は十方にあるとされ、西方には阿弥陀如来がおわす西方極楽浄土があるという。


お百度参り(御百度)

初出5巻p102。なぎは空鉢さんにお百度参りしていたらしい。

【解説】
祈願のために神社仏閣に100回参詣すること。また100回参詣する代わりに一時に100回礼拝することをもいう。この場合には、社殿・本堂の周囲を100回巡り、一回巡るごとに竹籤などを一本ずつ100度、箱に投じて計算する。別に百度石を立ててそこへ往復させることにした所もある。
空鉢さんでは本堂の周りをぐるぐると回るかたちで参拝するようだ。

龍神

5巻p115。なぎ曰く、千秋はお使いの人らしい。
信貴山にある「空鉢さん」に祭られている神仏。

【解説】
インド神話で蛇を神格化した架空の動物で、その長を竜王・龍神という。八部衆の一。大海に住み雲を呼び、雨を降らす魔力があると信じられ、仏典にも記載が多く、「仏母大孔雀明王経」には、160余名の名をあげる。龍族代表8人を数えて、八大竜王という。「法華経序品」によれば次の通り。(1)難陀(護法龍神の代表)(2)跋難陀((1)と兄弟で、請雨曼陀羅の中心の2竜の一つ)(3)沙迦羅(請雨法の本尊で千手観音二十八部衆の一つ。8歳で成仏した龍女成仏として、平安時代以降最も信仰された)(4)和脩吉(九頭竜のこと)(5)徳叉迦((4)と同胞で、これを怒って凝視すると直ちに命を落としてしまう)(6)阿那婆達多(雪山頂に住み四大河を分けて人間界を潤す)(7)摩那須(8)優鉢羅(青蓮華池に住む)
※筆者注
信貴山略縁起によると、法力で「空鉢」を操っていた信貴山の名僧命連が鎮護国家の秘法で八大竜王に誓願したことや、覚鑁上人が毘沙門天から授かった宝珠が、龍女が周の国から奪い厳島明神に授けたものだったという記述が見える。このことから、「空鉢さん」=龍神なのだろうか。


信貴山(朝護孫子寺)

初出5巻p116。なぎが千秋を連れていった場所。

【解説】
信貴山真言宗。奈良県生駒郡平群村。聖徳太子が守屋氏討伐の際、戦勝を当山の毘沙門天に祈願し創建したと伝えられる。平安中期に命連が再興した。本尊は毘沙門天で、楠正成はその申し子で多聞丸と称したと伝える。松永久秀が信貴城を築いたが、織田信長に焼かれ、当寺も消失した。豊臣秀頼により山の中腹に再興される。


剣の護法童子

初出5巻p181。平蜘蛛を見つけるために高耶が呼びだした神仏。その後は高耶のぱしりにされている(笑)

【解説】
護法童子とは、密教の高僧が操る鬼神類。剣の護法童子(劔鎧童子)は、信貴山の縁起絵巻に登場する護法童子で平安時代、醍醐天皇の病気平癒の際、信貴山の僧「命連」が遣わしたという。
【形像】

金色の肌で、千の剣を身につけ、輪宝の上に乗る。
真言
オン ベイシラ マンダヤ ソワカ
【訳】
毘沙門天に帰命致します、スーヴァーハー
※毘沙門天の眷属なので、真言は毘沙門天のものを使うようだ。


信貴山縁起絵巻

初出5巻p181。剣の護法童子の呼び出し方を思いだしたのかと直江に問われた高耶が返したセリフ中。

【解説】
紙本着色の3巻の絵巻。信貴山に毘沙門天を勧請した信濃の聖、命連の説話を描く。
中巻「延喜加持の巻」には、後醍醐天皇の病気平癒のために使わされた剣の護法童子が登場する。雲の尾を引いた童子が輪宝を追う図。→剣の護法童子


眷属

初出5巻p182。

【解説】
元来は家族・従僕の類で眷愛し隷属するものの意。仏・菩薩に特定して従属する使者をいう。


ナウボウ・バギャバティ・ウシュニシャヤ・オン・ロロ・ソボロジンバラ・チシュタ・シッダ・ロシャニ・サラバアラタ・ザダニエイ・ソワカ

初出5巻p204。高耶と千秋が霊波同調したときに、千秋が唱えた真言。

【訳】帰命し奉る。世尊の御心に生かせる頂髻尊よ、オーン ルル智慧の光明を閃かせ、すべてを成就に導かせる眼よ、すべての幸せを与える仏眼尊よ、スーヴァーハー
【解説】
仏眼尊の真言である。高耶と千秋が“眼”を同調させるのに用いたように、この仏眼尊は、仏陀の眼を人格化して作った尊である。仏陀の眼には本来、智を生む無限の功徳があり、三世諸仏の能生の母である意から仏眼仏母とも言う。





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